12 2月

「生かされてのみ生きる」

私は、生きている。しかしながら、私に限っていうならば、ここに大きな勘違いがあることに気づかずに生きていたと告白する。
「あなたは、何を根拠に自分を前にして生きているのか。」…問答一言。
「生きているが、死んでいる人間が多々いるのだ。つまり、生きてるが死んでいる。あなたは…?」
コップ一杯の水を添えて断食祈祷の修業を前に座する。しばし、私を雑念と様々な想いが身を包み問答に集中できない。
すべてが静寂なる無の境地へといざなわれ、問答の意味を悟るに何日かかるかに気がそがれる。その一瞬。私の前に添えられし水一杯に一滴の涙の輪。
息をのみ…のみほす一杯の水に生かされて、生命をつなぐおもいに包まれる。
「生きているようで死んでいる。生かされている。ただ、ただ、生かされるのみ。」
古典中の古典の書の「十字架の復活」とは、なんであったのか。死んだ人間の復活ではない。生きているが、死んでいる人間の復活ではないか。
「生かされるのみ」。そして、「生きるのみ」。